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流浪の野球人生
改めて『GRAND SLAM』(№32)を読み返していたのですが
ふととある選手に目が行きました。
それは、現在熊本ゴールデンラークスに所属する佐伯真貴選手です。

今プロフィールを見直してようやく気づいたのが
彼は大学ではぼくと同級生になるわけですね。
ずっと気にしていた選手ではあったけど、まさか、でした(^^;
そうか、そうなると書きやすくなるなあ。

佐伯選手は熊本の九州学院高校から熊本工業大学(現崇城大学)に進学します。
九州学院時代は甲子園出場こそしませんでしたけど
熊本工業大学時代は大学選手権に3回出場しています。
93~95年ですか。
ああ、これ完全にぼくとかぶっています(^^;
絶対一緒の空間にいましたね(^^;

97年にニコニコドーに入社します。
当時ニコニコドーは結構強かったのを覚えています。
確か、阪急で活躍した今井雄太郎投手の息子さんも
ニコニコドーにいたはずですよ。

しかしニコニコ堂は業績が悪化。
98年に野球部が休部してしまいます。
翌年からいすゞ自動車に転籍。

このいすゞもいい選手がたくさん揃っていましたね。
真っ先に思い出すのが、今専修大学の監督をされている長谷高成泰さんかな。
あとは同じ法政の藤澤英雄(笑)
でも、神宮で結構応援していた選手がたくさん入っていましたし
いすゞは気になるチームでしたね。

しかし、このいすゞも02年限りで休部となります。
ホント、ついてないですよね。
しかし、この最後のシーズンで、いすゞは見事に都市対抗を勝ち抜きました。
佐伯選手も指名打者として優勝に貢献しました。
あの時の『GRAND SLAM』も持っていますけど
あれで終わりか、というのがすごく寂しかったです。
どこかにこのときのことを書いているはずだけど
ちょっと探しきれません(^^;

次に所属したのが富士重工です。
ここも名門ですね。
もちろん中心選手として活躍しました。
去年は主将としてチームを引っ張りましたが
05年に倒れたお父さんのことが気がかりで
熊本に帰りたいという気持ちが強くなります。

そして、現役引退を決意します。。。

そこで、九州学院の先輩である田中敏弘・ゴールデンラークス監督から
コーチとして誘われます。

自分の都合で辞めるのに、違うチームの誘いに乗るのは不義理だ・・・
佐伯選手がそう思ったのもごく普通でしょう。
これが筋でしょうしね。

しかし、田中監督はしばらくしてから「体が動くなら
兼任コーチとして」と誘ってきます。
さすがにこれはまずいと思い、現役は断るつもりで
富士重工の村田博幸監督に告げたのだそうです。

ところが村田監督、佐伯選手に
「腹を括れよ。せっかく誘ってくれたんだ。
こっちのことは気にしなくていい」(P108)とどやしつけたのだそうです。

大きい監督さんだと思いません?
普通なら、まずOKしないはずです。
しかし村田監督、義理を通そうとする佐伯選手を
逆に叱っているようなものですから(笑)

こうして佐伯選手は4つ目のチームでプレーすることとなりました。
まだ若いチームです。
そんな中、佐伯選手のすばらしいキャリアからくるプレーぶりは
チームの精神的支柱にふさわしいものです。
若いチームにしっかりとした芯が通ったように思えます。

転籍を繰り返す波乱の野球人生でしたけど
まだまだこれからです。
九州の社会人野球ここにありというところを見せ付けてもらいたいものです。
by sidearm32 | 2009-01-09 21:18 | 野球・スポーツ
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