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あのやんちゃ坊主が・・・
予告通り、谷口英規さんについて書いてみます。
彼は1969年生まれです。
浦和学院高校時代、2年夏の甲子園でベスト4に入りましたが
その時はエースでした。
現在ヤクルトで活躍している鈴木健選手もいましたね。

その後、東洋大学に進学しますが、最初のうちはまだ投手でした。
で、3年の時に打者に専念します。
そして東芝へ。。。

1993年の都市対抗では日本石油の補強選手として
5試合で6ホームランというとんでもない結果を出し、優勝に貢献しました。
社会人を代表する左の強打者として、ご存知の方も多いと思います。

しかし、現役時代はいろいろとあったようです(苦笑)
『GLAND SLAM』(No.26)によりますと、ご本人曰く、
「はっきり言ってトラブルメーカー。欠点ばかりの選手だった」そうです。
確かに、浦和学院高校時代、いろいろと物議をかもすことがありましたね。
当時の雑誌は実家にあるので、細かい内容は失念してしまいましたが。。。

練習嫌いで、監督やコーチの言葉に素直に耳を傾けることができなかったそうですが
東洋大学時代のエピソードを聞いたことがあります。
東洋とちょっとしたつながりのある野球名門校でレギュラーだった友達がいます。
彼の同期は東洋に進学し、未だに社会人で活躍してます。
その友達の話だと、谷口さんは東洋の高橋監督に
「あんたのために野球やっているわけではない」みたいなことを言ったそうです。
・・・すごすぎ(苦笑)

しかし、試練は1996年ごろにやってきます。
試合出場の機会が減ります。
谷口さんは「全て自分が悪い。野球に対する考え方が甘かった。
もう少し努力できなかったのか」という後悔の念があるそうです。

でも、彼の打撃はものすごかったです!
ゴツイ体で金属バット(当時は金属でした)を持ってましたが
足を高く上げた豪快な一本足打法でしたよ。
前述した野球名門校出の友達曰く、「谷口さんに金属持たせるのは反則」
・・・異議なし(笑)

スポニチ大会の時バイトしてたのですが、谷口さんの3つ下で
同じ埼玉の高校(ここも野球では名が知れてます)を出た先輩に
「浦和学院の谷口が東芝にいますよ。打撃見てください。すごいですよ!」と話しました。
休憩中にその打撃を見た先輩は「怪獣だ」と驚いた顔で言いました(笑)

そんな谷口さん、2000年から上武大学の監督に就任します。
就任当時の上武大学の選手は「やんちゃな選手ばかり」だったそうです。
服装や言葉遣いの指導からはじめたそうですが、やはりこれが一番効いたんじゃないかな。
これというのは、谷口さん自らバッティングケージに入り、打撃を見せたそうです。
打球は軽々とフェンスを越えていきます。
「力でねじ伏せた」とおっしゃってます(大笑い)
でも、選手には説得力がありすぎです!

しかし、それだけではなく、谷口さんの真剣に向き合う姿勢が
選手たちに通じたのでしょうね。
その後、上武大学は関甲新リーグの中心的な存在にまで成長しました。

人は変われば変わるものですね。
名門中の名門、東芝で4番を務めた男が、
「現役時代の自分は反面教師のようなもの。自分のような選手をつくらないことが
今の目標です。
「多くの選手に自分のような後悔はして欲しくない」
とおっしゃってます。

東芝の現役時代も、インタビューの時間なのに来ないことがありましたが
それは練習をしてたんですよね。
で、「自分のような鼻くそは、練習しないとだめなんです」と謝ってましたが
自分を直視できるだけの人間になれたのかもしれませんね。

36歳。指導者としてはまだまだ若いです。
しかし、実力のある人がいろんな苦労をして、弱い自分と向き合って葛藤し、勝っただけに
今後の活躍が大いに期待できるのではないかな、と楽しみにしています。
by sidearm32 | 2006-04-12 19:49 | 野球・スポーツ
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