『東京大学野球部90年史』なる本を入手しました。
(以後、『90年史』と略) このブログで何度か取り上げていますが、 ぼくは東大野球部の大ファンだったりします。 そんなぼくとしては、東大野球部の歴史をたどってみたい、 熱心に応援しはじめてからのおもしろいエピソードを探そう、 そして、うろ覚えである東大野球部との出会いを振り返りたい、 など、いろんな思いから、この本を手に取りました。 東大野球部を初めて知ったのは、偶然見たNHKの特番でした。 『90年史』でタイトルが分かりましたが、それは「負け続けた男たち」・・・。 平成元年に卒部したキャプテンの町永智丈捕手(横浜翠嵐)が 「いい思い出は何一つなかった」みたいなことを話されてたように記憶していますが その時の無念さというか、言葉に表せないような「何か」を幼心に感じました。 野球大好きなぼくとしては、なぜそんなことを言うのだろう、とも思いました。 しかし、この番組のタイトルを知って、改めて言葉にならない「何か」を強く感じています。 また、実際に硬式野球を経験したおかげで、野球の奥深さ、難しさを痛感し、 科目等履修生という形ではありますが、東大の大学院で授業を受けたおかげで 東大生がどれだけハードな勉強をしているのかを見せつけられました。 六大学野球というレベルの高いリーグで、しかも学問においても一流・・・。 東大野球部を応援せずにはいられなくなりました。 町永主将の代では、東大はあと1勝でリーグ戦通算200勝というところでした。 しかし、同時に30連敗でした。単純に、1年半勝てていないわけです。 協和発酵でも活躍した坂本監督を迎え、心機一転挑んだリーグ戦でしたが 結果は春秋ともに0勝10敗。これでリーグ戦記録に並ぶ50連敗・・・。 確かに、他大学がのちにプロや社会人で活躍する選手を多く抱えていたのは事実ですが 東大も戦力的には決して劣っていたわけではないと思います。 前年度からのレギュラー選手の数は他校より多いくらいです。 しかし、それでもなかなか勝てないのが野球の難しさです。 『90年史』は、『東京大学野球部史』に扱われていない昭和50年以降について それぞれの年次の責任者が記事を執筆しているのですが この平成元年は町永主将です。 その町永主将が、負けが続くことによる負の連鎖(精神面)、 メディアの報道による失敗のイメージの刷り込みなどがあったと話していますが(P253) 純粋に野球ができる状況ではなかったこと、すごく不幸なように思えます。 (逆に言うと、ここまで注目されることはなかなかないですから 非常に貴重な経験をしたとも言えますが) また、当時の坂本監督は 監督は選手を選べるが、選手は監督を選べない。 経験不足の監督が手探りで進む中で、選手には大きな負担と なってしまったことを申し訳なく思っている(P254) と話されているそうですが、当時の東大は監督の任期が2年。 わずか2年で結果を残すことは至難の業です。 結果を先回りすると、坂本監督は2年間で0勝40敗。 不名誉な記録がついて回ることになりましたが 様々な面で同情の余地があるように思えます。 翌年、春の開幕戦で51連敗、65イニング連続無得点という記録をつくってしまいます。。。 この年の文責は村上隆選手(洛星)ですが、慶應との2回戦の話は印象深いです。 8回裏まで2-1でリード、勝利を意識したものの、 2アウト満塁で満塁ホームランを浴びてしまいます。。。 ぼくはおませさんで、週間ベースボールを毎週のように読んでいましたが(^^; のちにロッテに入団する小林至投手(多摩)がマウンドで呆然と立ち尽くす写真を 今でも鮮明に覚えています。 捕手のサインに首を振って投げたカーブを打たれ 男泣きしたとありますが、同じ投手として、完全に感情移入してしまいます(^^; 当時の自分を振り返りますと、ちょうど体を壊して野球を断念した頃です。 おまけに、学校も休学したりと散々でした。 初めての挫折を味わっていた頃です。 人生で一番暗く、先が見えなかった頃ですね。 そんな自分が、いろんなものに歯向かっていたことを思い出します。 もしかして、東大野球部の奮闘ぶりを どこかで自分とダブらせていたのかもしれません。 また、小林至投手は、一浪して東大に入りましたが 現役時は東大にはとても及ばないレベルだったと聞きました。 しかし、浪人時に猛勉強し、見事に合格したと聞きました。 そうしたエピソードを聞くことで、元気をもらっていた自分がいます。 辛い時にめげそうになっていた自分を励ましてくれたのが 東大野球部だったのかもしれません。 次回は『90年史』で印象に残ったところをピックアップしてみたいと思います。 ・・・たくさんありすぎてチョイスするのが大変だけど(^^; ▲ by sidearm32 | 2010-06-02 18:36 | 読書感想文
だいぶ前のことになりますが、筒井清忠さんの『日本型「教養」の運命』
という本を読みました。 で、新渡戸稲造の心あたたまるエピソードが書かれていたので いつかネタにしようと思っていたのですが・・・ すっかり忘れていました(^^; もっとも、ブログを書く気力がなかなか湧かなかったのもあるのですが。。。 たまたま先日、投稿する際に過去の記事をリンクさせるべく 目的の記事を探していたところ、こちらが目に留まりました。 新渡戸稲造はお札にもなりましたけど、以前は果たしてどんな人だか いまいちピンと来ませんでした。 しかし、第一高等学校でのことを知るにつれ お札になるだけの人だ、と強く思うようになるとともに このような方から教わってみたいものだ、と思いました。 リンクさせた記事にある情景を思い描くたびに 何とも言えないようなあたたかい気持ちになります。 教育者、新渡戸稲造の大きさを感じます。 そうこうするうちに、以前書くはずだったネタを思い出し そのネタとなる『日本型「教養」の運命』を引っ張り出してきたところです(^^; 35ページからが今回のニュースソースとなります。 新渡戸稲造は名門中の名門であった第一高等学校(一高)の校長でした。 一高に入学するのは至難の業でしたが、入学してしまえば東大に上がれました。 当時の東大は卒業すると様々な恩恵にあずかることができました。 従って、全国の俊秀たちがこの学歴エリート養成校を目指し 学問に励んだものです。 とはいっても、今のように大学進学率が40%を超えるような時代ではなく ごく一部の若者が大学に進学するような時代の出来事なのですが。 新渡戸は、この一高を教養主義へとシフトさせたと言われますが (当時は「修養」と言ったのだそうです) この教養主義は、古典文学や芸術などを通じて得た知識によって 人格を陶冶したり、社会をよくしようとするものです。 他方、新渡戸は『実業之日本』といった大衆誌にも 修養についてわかりやすく説明し、好評を博したようです。 天下の一高の校長が大衆雑誌に執筆することに対し、批判の声も多かったようですが 新渡戸は書き続けました。 その理由は、 山深き寒村の少女、都会の最中ニ迷う男子等が一人二人十人二十人 僕の拙論を読んで失望の間ニ気をとり直おし、罪の生涯を止めて 光明に赴き、前非を悔ゆる等の書面を送りて呉る すれば「新聞屋など(*などは手へんに不)の悪口ハ 何んの痛も僕ニ与えぬ」と唯々神ニ感謝する外ハない (36ページ) この新渡戸の言葉の背景にあったと言われているのは、 養家先が破産したため、開拓使の給費生となって苦学をしてきた体験なのだそうです。 このあたりを読んで、若者たちへのまなざしのあたたかさの理由が よくわかった気がしました。 情報がなかったり、情報があっても道に迷っている状態って 結構辛いものがあります。 普通、そういった弱い立場の子どもに対し 彼らの気持ちになって、彼らに伝わるようにメッセージを送り続けるお偉いさんって 果たしてどれくらいいるのでしょうか。 それを、エリート養成学校の軸であった一高の校長が実践したわけです。 どれだけの子どもたちに勇気を与えたでしょう。 このあたりのエピソードって、結構自分と重なるんですよね。 学問しはじめた頃、何をやっていいのか路頭に迷いました。 偉い先生はろくに教えてくれませんでした。 でも、2人の先生が、本当に親身にアドバイスをしてくださったおかげで ここまでやってこれました。 その時の喜びを思い出すと、この「山深き寒村の少女、都会の最中ニ迷う男子等」 は、どれだけ嬉しかったことだろう、と思います。 新渡戸稲造みたいな大人になりたいものです。 ▲ by sidearm32 | 2010-05-13 22:02 | 読書感想文
正解は・・・
「ビクともしません」 だそうです。 これには正直参りました。 恐らくぼくならうろうろしていたはずだから(^^; スタッフにいろいろ聞いたりしていたと思います。 また、周囲のいろんな人に聞きましたが、今のところ正解者はいません。 恐らく、ぼくのような態度って、JRAの試験管の思う壺なのでしょうね(^^; ツッコミどころ満載、みたいな。 矢作さんもおっしゃっていますが(69頁)、 おろおろしているのは自分の管理に自信がないから、なのですよね。 自分の管理に自信があると、「そうなったときは僕の責任なんで仕方ありません。 ファンやJRAには申し訳ないけれど」と言い切れるわけですね。 また、そう言い切れるようになっていなければならない。 プロセスに穴があると、こういったことでなくてもいずれ何らかのほころびが生じるから。 矢作さんの 「二次試験とは、結局その人の精神力、胆力を見ているのである。 学科的な知識については、一次試験でわかっているわけだ。 調教師になって、馬主さん、従業員に対して上手くやっていけるのかについて 判断しているのである」(同) あたりは、何だか自分が言われているような気がしました。 上に進むために、もしかして一番ぼくに足りないことって このあたりなのかもしれない・・・ 今年のぼくのテーマは「拓」ですが これは道を切り拓くということ以上に、自分自身を開拓しなければ・・・ そういう意味合いが強いです。 この本を読んで、特にこのあたりを読んで ぼくに決定的に足りない部分がはっきりした気がしました。 そういった意味では、この本に出会えた意義はとても大きかったです。 あと、繰り返しになりますが、試験に13回落ちてもめげない、ぶれない人間性・・・ このあたりも非常に刺激になりました。 ▲ by sidearm32 | 2010-01-18 18:19 | 読書感想文
オーストラリアでの武者修行を経て、矢作さんは
競馬学校の厩務員課程へ進むことを希望しました。 しかし、ここで2回ほど試験で足踏みしてしまいます。 それまでの間、お父さんの厩舎で修行しました。 このあたりも結構興味深いことが書かれてありますが ぜひ『開成調教師』を手にとって確認していただきたいと思います。 ここから調教師の試験に合格するまでが長いです。 所帯も持ちましたし、仲間が次々と試験に合格する中 どのような心境でモチベーションを切らさずにやってきたのでしょう。 このあたりが本題ではありませんから、そのあたりは書かれてありません。 しかし、いろんなことで葛藤こともあったのではないか・・・ そのような部分にも思いを馳せると、尊敬の念を持たずにはいられません。 このあたりのことをバイト先のおばちゃんと話したのですが 普通の人は3回、4回と落ちたあたりで諦めちゃうものだけど 13回落ちても諦めずに続けるあたりが私たち凡人とは違うのね、 なんておっしゃっていました。 そうかもしれません。 落ちたことで諦めるのか、それとも「自分にはまだ改善の余地があるんだってお告げだ」 と捉えるかで全然違う結果になるのかもしれません。 矢作さんは1961年生まれです。 で、調教師試験を突破したのが2004年。 翌年に調教師として開業しました。 そう考えると、ぼくなんてまだまだ甘い、青いって思いました。 もうひとつ、思い切り考えさせられることがありました。 それは調教師試験の面接です。 一次試験、二次試験とあり、一次は筆記、二次は面接です。 矢作さん曰く、二次は面接というよりも口頭試問なのだそうです。 その二次試験において、ありがちな問題を挙げてくださっています。 例えば、「今日競馬に使う馬の飼い葉桶に白い粉が入っていました。 あなたはどうしますか?」(69頁) また、「あなたの厩舎の飼料に、禁止薬物を入れたという脅迫電話が来た、 どうしますか?」(同) さて、みなさんならどう答えます? 答えは次回で。 ▲ by sidearm32 | 2010-01-13 20:23 | 読書感想文
本日2つ目です。
今頃元気になってきたので(笑)、書けるうちに書いておきます。 たまたま競馬関連のサイトを見ていたら JRAの矢作芳人調教師の記事にたどり着きました。 たまたまプロフィールを見てみたら、「開成高校出身」とありました。 どうして競馬界へ???? むくむくと湧き上がる疑問。 その後、調教師の試験に13回も落ちたと知り、 余計に矢作さんのことが知りたくなりました。 そこで出会ったのが『開成調教師』という本でした。 この本は矢作さんご自身が書かれた本ですね。 サブタイトルとして、「安馬を激走に導く厩舎マネジメント」とありますが 矢作さんのノウハウを知ることで馬を見る目を養い、 いつかでかい馬券を当ててやろうと企んでいる方もいるでしょう(笑) 競馬界、それ以外のジャンルの方でも 経営上のヒントを得ようという方もいることでしょう。 タイトルがタイトルですし、いろんな方が読まれたでしょうが ぼくは、彼の生き様が知りたくてこの本を手に取りました。 (つぶやき・読んでいくうちに、競馬のいろんなことがわかり 馬券を買うヒントになることもあったのだけど 逆に頭でっかちになり、馬券は当たらなくなるかもしれません・笑 これは今後どうなるか、ですが) 元々お父さんが大井で調教師をされていて 馬が好きだったというのがあったようですが 最初は開成から東大に進み、弁護士になることを夢見ていたのだそうです。 小学校までは神童と目されていた矢作さんも 開成では苦戦されたみたいです。 「開成に入って一変した。あそこでは、頭のいい奴が必死に努力をしている。 勉強で他人に負けるわけがないと思っていたのが、 頭を打たれる思いだった。世の中、こんなに勉強ができる奴がいるのか!」(37頁) 次第に勉強に熱を失い、クラブ活動へとその情熱をシフトさせていったそうですが これはぼくのある知人も同じようなことを言っていました。 筑波大附属の中学に行ってたけど、その時は どんなに一生懸命頑張っても成績が上がらなかったけど 地元の公立高校に入ったら、どんなに勉強しなくてもトップだった、と。 ぼくは落ちこぼれの高校を卒業しましたので トップクラスの学校の厳しさを知りません。 大学や大学院でようやく知った、というところですけど。 教育社会学の論文を読んでると、例えばトラッキングの理論に関する文において トップクラスの学校の生徒は得てしてトップクラスの学校へ進学しています。 しかしごく一部、そうでない生徒がいることも事実です。 後者は少数派ですのであまり指摘されませんけど。 ちょっと本の本筋とは違う部分ではありますが このあたりの心理を垣間見ることができた気がしました。 お父さんの猛反対に遭いながらも口説き落としました。 お父さんが提示した条件のひとつに、海外で競馬を勉強すること、というのがありました。 矢作さんはその約束通り、20歳の春にオーストラリアへ渡りました。 (長くなりそうなので、ここいらで休憩です・笑) ▲ by sidearm32 | 2010-01-11 21:53 | 読書感想文
最近司法制度についての本をあれこれ読んでいます。
もともとは法科大学院について調べていたのだけど だんだんと深入りしてきています(笑) だいぶ前の本ですけど、『シリーズ司法改革Ⅰ 法曹養成 ロースクール構想』 という本を読んでいるのですが 塚原英二さんの「国民に利用しやすい司法制度の実現を」という文章に おやっと思わせる部分がありました。 アメリカは裁判の件数が多い半面、日本では 裁判をすることはよくない、みたいなイメージがありませんか? 自分自身、そういったイメージがないとは言えません。 むしろ、そういった考えにどっぷり浸かっているかもしれません(苦笑) しかし、これは正しくないのだそうです。 明治の初年には事件が爆発的に増加します。 自由民権運動の結果、権利意識が強くなります。 そうなると、事件も起こる・・・。 明治16年には第一審訴訟と勧解(調停にあたります)の合計が 何と133万件に達したのだそうです。 そのうち、訴訟が24万件。 ・・・ものすごい数ですよね! これに対し、明治政府は「乱訴」だと言います。 到底対応できる数ではないからです。 そして、裁判には因子が必要だと言い、 明示17年に印紙規則を制定しました。 高額な印紙を貼らせた結果、明治18年には 第一審訴訟と勧解が64万件、訴訟が5万件にまで減ります。 明治20年には43万件にまで減ります。 塚原さんは「裁判が多いのはよくないとしてきたのは、明治政府のイデオロギーである」 (P172)としています。 実際に記録などを見ていませんし、孫引き状態ですので ちゃんと記録に当たらないといけませんが 歴史をたどることで、今現在当たり前だと思われていることでも ちょっとした操作があったり、「からくり」が分かることがあります。 また、自分の「当たり前」と思っていたことが 実は「当たり前ではない」ということも多々あります。 「当たり前」と思っていることに疑問を持つ。 これ、大事なことかもしれません。 陪審員制度など、今後とも司法制度は動いていくでしょう。 ぼくのメインテーマである法科大学院もスタートしてからだいぶ経ちましたが これからいろいろな問題も浮き上がるでしょう。 国際化社会が到来した結果、一筋縄では解決できないような問題が 生じることも考えられます。 訴訟も今後は他人事ではすまなくなる時代がくるかもしれません。 また、インターネットの時代になり、情報が大量に流布するようになりますと こういった「当たり前」が否定されることも起こりえます。 「当たり前」に固執しすぎるときつい世の中になってしまったかもしれませんね。 頭の柔軟性、大事だなあって思いました。 ▲ by sidearm32 | 2009-06-29 19:24 | 読書感想文
不適格教員に対するまなざしが厳しくなりました。
不適格教員を排除しようという動きが活発化してきましたが その結果、これから教員を目指そうとする若者たちの動向に 変化が生じてきました。 国立大学の教員養成課程の志願者数が 2006年度は52507人だったのが、2007年度には 46814人に減少しております。 倍率にしますと4.9倍から4.4倍に減少しております。 およそ20年前、1988年度の入試では、それぞれ107797人、5.7倍でした。 およそ10年前の1998年でもそれぞれ64202人、5.1倍でした。 これまでにも教員養成課程の志願者数が減少したことはありましたが その時は、教員採用の倍率があまりに高かったため、若者が忌避した結果でした。 しかし今回は、それとは逆です。倍率は年々下がってきております。 2000年の公立小学校の採用倍率は12.5倍でしたが これは年々下がり、2006年には4.2倍にまで落ちてきています。 過去において、教員採用の倍率が下がったことはありましたが 第一関門である大学入試が狭き門であったため、 採用候補者をふるいにかけることができました。 すなわち、「質の調整」が可能であったわけです。 しかし近年の傾向は、この「質の調整」がしにくくなっているのです。 ここで苅谷先生は、文系で最難関であると言われている 東京大学文科一類を目安にし、こことの偏差値の差をはかることで 主要な教員養成課程大学の入学者の学力にどのような変化が生じているのかを見ます。 その結果、2002年以降、すなわち教員採用倍率が低下の兆しを顕著にする頃から その差が大きくなっていることを発見します。 それまで20前後の偏差値の差で推移していたのが 25前後にまで広がっているのです。 これにより、主要な教員養成課程大学の受験者全体の学力の平均が 低くなった可能性を示唆することができるでしょう。 先生がご指摘のように、全ての教員養成課程大学を調べたわけではない あくまで暫定的な分析ではあります。 しかし、志願者減少という「プール」の減少にとどまらず、 そこから選び出される学生の質の低下、といった傾向も 考えられるかもしれません。 (これも先生が御指摘のように、「受験学力」という 力量のごく一面を見ただけのものですが) 教員の質を維持するための厳しいまなざしが 逆に今後教員になろうとする若者たちの質を低下させるという 皮肉な結果を生み出しているかもしれません。 この結果は10年後、20年後に出てきます。 その時どうなっているのか。。。 ▲ by sidearm32 | 2009-02-20 20:26 | 読書感想文
今バタバタしているのであゆみは遅いのだけど(^^;
タイトルにある本を読み始めております。 この本は苅谷剛彦さんの本なのですけど いつもいろいろと考えさせられます。 苅谷先生の本を読むと、教育の影響の大きさを痛感します。 もちろん、教育は万能だと思い込むことはよくないですけど 教育の影響からは逃れられない気がします。 それを知ってか、猫も杓子も教育改革、となっている面もあるかもしれません(笑) いろんな団体が各自の案を提出するなどしています。 政治においても教育がとりあげられるケースが増えている気がします。 しかし、そこにはどことなく「票稼ぎ」といった面もあるのかもしれません。 しかるべき調査もせず、しかるべきデータも持たずに 原案が提出されているところもあるように見受けられます。 授業時数の10%増加にしても、その根拠も乏しいですし 週5日制を堅持する上に、教員の増員は考えていないようですから 当然先生に負担がかかってきます。 ただでさえ授業の準備の時間が思うようにとれないのに これ以上負担を増やしては、 せっかく子どもたちの将来のためにと授業時数を増やしても 肝心の授業の質のアップは見込めないでしょう。 教育においてはこのような「意図せざる結果」が多いです。 きちんとした「処方箋」を書いたとしても、この意図せざる結果を招くことはあるけど 簡単に予測できたのに、浅はかな決定によって招く(負の)「意図せざる結果」は すごくもったいないように思えます。 本を読み進めていたら、なかなかおもしろい「意図せざる結果」を見つけたので ここに書いてみたいと思います。 例えば、教員免許の更新制はいわゆる「不適格教員」 を排除するためのものだとも言えるでしょう。 (この「不適格教員」という名もすごいですが・笑) この本の80ページの図がわかりやすいのですが 小・中・高の一般教員約97万人のうち、 「適格性欠如」、「心身の故障」、「勤務実績不良」などといった 「不適格教員」等のうち、分限処分の対象となったものが6553名です。 (平成16年度。懲戒処分を受けた者が1226名です) この6553名のうち6308名が病気休職であり、 このうちの3559名もの教員が精神性疾患なのだそうです。 問題なのは、不適格教員であるがゆえに精神的疾患を抱えてしまったのか 学校や教員の周りにある問題が原因で精神的疾患を抱えてしまったのか、です。 後者であれば、不適格教員を排除するため・・・という視点が そもそもずれていると言っても仕方がないかもしれません。 教員に対するまなざしが厳しくなってしまった結果 不適格教員を排除しようという方向に動いてしまった面は否定できませんが その結果、重要な「意図せざる結果」を招こうとしています。。。 (つづく) ▲ by sidearm32 | 2009-02-15 20:34 | 読書感想文
さて、前回の続きになります。
『赤土・・』の心理描写のリアルさ、細やかさがぼくは気に入りました。 ちょっとしたイベントがあった時、いろんなことを考えますよね。 いろんなことを感じますよね。 その時の心の動きを細かく表現されてます。 それは日常の些細な出来事に関してもそうです。 ごくありふれたことであっても いろんなことを感じ、それをリアルに再現されてる。 このあたりは日原いずみさんのセンスの賜物でしょう。 また、その表現に、偏った善悪の価値基準が込められていません。 特に、不倫などのことって、感情的に表現されがちじゃないですか? 前回書きましたけど、日本って昔は非常に性的にルーズな国でした。 しかし、いつの間にか不倫がタブー視されるようになりました。 (裏ではよろしくやっている人も、いきなり「正義の使者」のように 「不倫はいけない」という「正論」をふりかざすあたりが 日本らしいというか何というか・・・苦笑) 個人的には、しないでしょうね。 自分の器をわきまえてるし(笑) リスクも生じますからね。そのリスクを受け止めるだけの器が ぼくにはないと思ってるし。 ひとりの子にちやほやされたいので(笑) そんな感じだから、付き合う子ってかなり選びますよ。 愛しぬける人をとことん探しますし選びます。 ですから、付き合った子って恥ずかしいくらいに少ないです。 また、流されるリスクも見ていますので 相談とかされたら、まず「やめとけ」と言うかな。 特に、後悔とかにひきずられたり、同じこと繰り返しそうな人には。 不倫がいいかどうかはみなさんにお任せします。 しかし、はなっから善悪を決めつけたりする姿勢に ぼくは違和感を感じてしまうのですよね。 (これは不倫に限らずです。ぼくの専門の教育でも この妙な「善悪」が変な問題を引き起こしているのを見ているだけに この違和感はより強くなるのかもしれません) 『赤土・・』は、そのあたりに日原さんの善悪の感情を込めずシビアに そしてドライに描いていますので、入り込めたのだと思います。 この本は赤裸々に語られているけど 逆に言えば、読む人のセンスを赤裸々にしてしまうところもある気がします。 そのあたりが過剰な反応として出てきているのかもしれませんね。 それと付随しますけど、ぼくは高田渡さんを思い出しました。 様々な伝説を残して亡くなってしまった偉大なフォークシンガーですね。 ぼくも例えばこちらみたいなことを書いたっけ。 他にも書いてますが、それは「音楽」のところを探してみてください。 ニュースソースはこちらになるのですが (併せてこちらもごらんになっていただけたら 渡さんの器の大きさを感じずにはいられないと思いますよ) 「いろんな見方がある中で、誤解を受ける作品をつくるのが大事。 1個しか物の見方がないのは最低だと思う」 とおっしゃっているのが妙に重たく感じます。 そういった意味では、この本は良書だと言えるでしょうね。 ぼく個人も、今までは誤解を受けないように、というところが あった気がします。 でも、誤解されることって、怖いことではないのですよね。 誤解する側のセンスによるところもあるのです。 それにビビっていたって仕方がない。 その前に、自分を磨くことに専念すべきではないか・・・。 そんなことも考えたりしています。 最後に、ぼくならではの読み方を書いてみます。 ぼくはね、女心の教科書の1つだと思いました(笑) 先日読んだ石井希尚さんの『この人と結婚していいの?』で 男女間の越えがたい違いを尊重しあう大切さを感じたところですが だからこそ余計に、時枝の心の動き、考え方、感じ方にある 女性ならではの面を感じましたしためになりました。 やっぱり、将来の奥さんをできるだけわかってあげたいですしね☆ いろいろ考えさせられました。楽しかったです。 ▲ by sidearm32 | 2009-01-18 20:37 | 読書感想文
時枝の生き方は、恐らく彼女なりに納得した
自分の意志の所産ではないかと思われます。 クレバーな女性である時枝が、「本能的な欲求」があったとは言え 結婚相手を選ぶ際にはちょっと手落ちがあった部分は 時枝らしくない気がしましたが 夫の器の問題から、自分に本当にフィットする相手を探すあたりの切り替えの早さは 時枝らしい気がしました。 恐らくこうした生き方は、女性の中には刺激を受けた方も多いのではないでしょうか。 しかし、彼女の生き方を真似るには、リスクがあることも事実でしょう。 ベネディクトの『菊と刀』という本に有名な 「恥の文化」と「罪の文化」という言葉がありますが、 元来日本人は、他者へ迷惑をかけない、他者の目が道徳基準となる 「恥の文化」を持つと言われます。 不倫って、結構叩かれるじゃないですか? まずは他者の目と闘わなくてはなりません。 また、西欧人のように、宗教的戒律や良心を道徳基準とし その道徳基準から逸脱した場合、周囲からは罪ではないと見られても、 自分自身は罪の意識にさいなまれるような「罪の文化」。 結構まじめな方は、「不倫はよくない」といった考え方を取り入れていた場合 他人に見つからなくても自分の道徳基準から逸脱しているわけですから 割り切れずにずっと葛藤し続けることになるでしょう。 ぼくってなぜか相談を受けることが多いのですが、よく聞いてみると、 こうした現実から目を逸らさずにいることができればいいのだけど こうした現実からは目を逸らし、自分の都合のいい部分しか見ない人がいますね。 後者において、自分の良心の痛みから逃れるために 違う相手へとさまよい続け、傷を蓄積させていく人もいますね。 こうした人を見ているだけに、時枝の生き方を 盲目的に賞賛することにはちょっとした注意事項があることを 頭に入れておいてもらえたらいいな、と思いますね。 しかし、この本はある意味思想書みたいな面もありますね☆ 今までいろいろ書いてきましたけど、 まず最初にそのあたりの深さを感じさせられました。 もうひとつ。この本は結構「リアル」です。 付き合いはじめるところから出産するシーン、 そして子育てなどなど、いろんな面でリアルなんです。 普通の本でしたら隠すようなところまで詳細に描かれていますよ。 グロテスクなまでに、リアルに描かれています。 出産時の子宮の状態など、まずは出てこないと思います(笑) また、夫婦喧嘩のシーンもリアルです。 出産などの時もですが、物理的にリアルなだけでなく その瞬間の心理描写までもリアルなんですよ。 かなり細かく書かれています。 ぼくが特に気に入ったのは、この心理描写の細かさ、見事さなんです。 手に取るようにわかりますからね☆ (ああ、まだまだかかりそうだ・笑 また次回にしますね) ▲ by sidearm32 | 2009-01-16 21:30 | 読書感想文
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