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捨て身で勝ち取った2つの輝き
3年前の出来事ですが、いまだに思い出すと
目頭があつくなってしまうことがあります。
3年前、東京大学の野球部を引っ張った浅岡知俊投手のことです。

正直、たいした記録は残せてません。
44試合に出場し、2勝28敗の投手ですから。。。
しかし、この2勝を挙げるために、彼は恐ろしいほどの執念を持ち
努力を惜しみませんでした。

神奈川の柏陽高校時代、「公立の星」と言われ
通産10本塁打を放つなど、県内では名の知れた選手だったそうです。
そして、一浪の末に晴れて東京大学に合格し、野球部に入ります。

しかし。4年の春のシーズンまで、まったく勝てませんでした。
「おいしい」投手だったかもしれませんね。打ちやすい。
4年春のシーズンを終了して、0勝24敗。。。

週刊ベースボールの『大学野球 2002秋期リーグ戦展望号』のインタビューで
神奈川県高野連が浅岡投手のエールを送っていたことについて、彼は
「ありがたいことです。負けしか知らない人間では終わりたくない」と答えました。
この「負けしか知らない人間では終わりたくない」という言葉に
ぼくは彼の並々ならぬ思いが込められていると思うんです。
負けつづけ、それこそサンドバックのように打たれっぱなし。。。

確かに、1年浪人したため、ちょうど「松坂世代」といっしょになり
ほかの5大学はかなり強力な布陣になってました。
でも、同じ大学生です。一生懸命やってるだけに、悔しすぎたはずです。
卒業するまでに1勝は・・・という思い、わかりすぎるくらいです。

最後のシーズンに向け、彼はものすごい努力をしました。
学校や練習がある上に、スポーツジムにも通いました。
前の年の5月からは司法試験受験のための予備校にも通ってました。
しかも週に4回も。。。

さて、最後のシーズンです。
最初のカードは早稲田。浅岡投手は苦戦します。
1回戦は4イニングを投げて10失点(自責点9)。
翌日も投げましたが、3イニングを3失点。。。

しかし、次の立教戦で、ついに念願がかないます。
相手の多田野投手もその後(いろいろありましたが・苦笑)メジャーにいったような投手ですが
浅岡投手は負けませんでした。
1回戦、1失点完投勝利です!2-1の白熱した試合でした。
試合後、涙を流してたこと、忘れません。
今思い出してもグッときますね。

しかも、自らの手で勝ち点をもぎとることに成功します。
2回戦はぼろ負けでしたが(苦笑)、3回戦、またもや2-1で投げ勝ちました。
彼らしい、粘り強い投球でしたね。

しかしその後は打ち込まれるケースが多かったです。
もっとも、エラーがかなりあって、足を引っ張られたことが残念でしたが
彼の投球を見てると、1瞬たりともおろそかにしない姿勢が
よくわかる気がしました。楽しそうでした。
また、「壊してもかまわないくらいの勢いでガンガン行きます」のコメントどおり
自分が投げないときはレフトを守りました。
打順もだいたい5番。
ものすごい体力と精神力です。

結局2勝のみで大学野球生活を、ひいてはアスリートとしての野球を終えたわけですが
努力でもぎ取った2勝は一生の宝物になったのではないでしょうか。

また、彼の代は努力家や人間としてすばらしい選手が多かった。
キャプテンの長嶋選手や澤本選手は後輩にポジションをとられたものの
(2こ下に有望な選手が多数いたため、彼らに主役を譲ったような感じです)
試合中、ベンチの前のほうで大きな声を張り上げて声援を送ってました。
高校まで硬式のボールを握ったことのなかった小沢選手は
努力の末、最後の最後、4年の秋にレギュラーをとりました。
そのシーズン、入山選手はベストナインを受賞しましたし。

みんなで切磋琢磨してつかんだ2つの勝ち星。
早稲田から福岡ダイエー(現ソフトバンク)に進んだ和田毅投手は27勝もしてます。
それに比べるとたったの2つですが、ぼくにはいまだにまぶしいですね。
by sidearm32 | 2005-07-13 19:19 | 野球・スポーツ
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