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「偉大なる暗闇」
ちょっといろいろありまして、違うネタを書きたくなったので
急遽変更します。
・・・毎度のことなのですけどね(苦笑)

「偉大なる暗闇」と聞いてピンとくる方はどのくらいいらっしゃるのでしょう。
案外多いんじゃないのかな。
というか、多くあってほしいです(笑)

夏目漱石の『三四郎』という小説、ご存知でしょうか。
この小説に広田先生という味のあるキャラが登場しますよね。
三四郎が熊本から上京する際に、列車の中で偶然出会い
三四郎が「これからは日本も段々発展するでしょう」と述べたのに対し
一言「亡びるね」と言ったシニカルな登場人物です。
この広田先生のモデルとなったと言われるのが、岩元禎(いわもと てい)先生です。

岩元は第一高等中学校から東京帝国大学文科大学哲学科に進みます。
(当時は「文学部」とは言わずに「文科大学」と言っていたのです)
のちに第一高等学校にドイツ語教師として赴任します。
夏目漱石は岩元の同僚教師だったのですよね。
この岩元、かなり風変わりだったそうです(苦笑)
竹内洋さんの『日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折』(1999)に
岩元の授業の様子が描かれていますので、引用しますね。

    わしゃ言っとくがね。本にアンダーラインをしたり、仮名をつけたりするもんじゃ、
    決してありゃせんからね。本は大事にして決して汚すもんじゃないぜ君。
    もしそれをするやつがあったら、わしゃ許さんからね。その本を引っ裂いて
    その人はもちろん零点にするからそのつもりでおいでなさい。

    大学者が何年かかっても究め切れない独逸語の文法を一冊にしたのだから、
    始めから終わりまでみな重要な事ばっかしだからね。もしアンダーラインするなら
    始めから終わりまで一字残さずせにゃならんのだからね。
    そんな馬鹿な真似すんじゃありゃせんからね。
    キット言って置くのだからね。
    (197頁)

これ、ホントにしたようです(苦笑)
テストも非常に厳しいものだったようです。
エリート中のエリート、一高の学生ですら、零点が5~6人いたそうです。
クラスの半数が落第点をつけられたこともあったそうですよ。

また、訳も自分以外のものは認めなかったそうです(苦笑)
例えば、Dorfという単語があります。
これは「村」という意味なのですけど、岩元の訳だと「鄙(ひな)」
Haarは「髪」という意味なのですが、岩元訳だと「髪毛」。
この岩元訳でないと、認められなかったそうです(苦笑)

多分ぼくは岩元から教わったとしたら、喧嘩して落第させられたでしょう(苦笑)
いろいろと問題があるやり方であることは否めません。
しかし、引用文からも見ることができるように
学問に対する尊敬の念というのが見えますよね。

岩元の三十三回忌に哲学碑が建立されたのですが
その碑には、「哲学は吾人の有限を以て宇宙の無限を包括せんとする企図なり」
という、一高の哲学概論でノートに書かせた文章の一部が書かれてあるそうです。
この一文にも、岩元の学問観と言いますか、学問に対する姿勢が見てとれますね。

通産大臣などを務めた前尾繁三郎は一高時代、岩元に
ドイツ語と哲学を習ったのだそうですが、ドイツ語や哲学概論は忘れたものの
学問に対する尊敬と、学問に挑む気迫といったものが
知らぬ間に培われ、自身の人間形成に測り知れない影響を与えたと
のちに語っています。

ちょうどこの頃は教養主義真っ只中でした。
教養主義とは、読書を通じて得た知識で、人格を陶冶したり、
社会を善くしていこうとする人生観のことですが、
こうした教養主義的な雰囲気が学内にあったことも大きかったかもしれません。

ぼくもおぼろげながらですけど、学問のすごさがわかってきました。
岩元のような姿勢が、とっても大事だということが分かります。
厳しいけど、岩元は知識以上に学問に対する姿勢を
教えていたのかもしれませんね。
それが後に大輪を咲かせるための土壌、肥やしだと見越して。
さすがに「偉大なる暗闇」のモデルとなった人だなあと思います。

すごい先生だと思うけど、やっぱりぼくは喧嘩しちゃいそうだな(笑)
by sidearm32 | 2006-11-08 20:06 | 教育について
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